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Posted on 17:42:56 «Edit»
2009
11/17
Tue
Category:【漏洩】

田村隆一『四千の日と夜』「幻を見る人」小考 

田村隆一『四千の日と夜』「幻を見る人」小考





戦後詩





幻を見る人

空から小鳥が墜ちてくる
誰もいない所で射殺された一羽の小鳥のために
野はある

窓から叫びが聴えてくる
誰もいない部屋で射殺されたひとつの叫びのために
世界はある

空は小鳥のためにあり 小鳥は空からしか墜ちてこない
窓は叫びのためにあり 叫びは窓からしか聴えてこない

どうしてそうなのかわたしには分らない
ただどうしてそうなのかをわたしは感じる

小鳥が墜ちてくるからには高さがあるわけだ 閉されたものがあるわけだ
叫びが聴えてくるからには

野のなかに小鳥の屍骸があるように わたしの頭のなかは死でいっぱいだ
わたしの頭のなかに死があるように 世界中の窓という窓には誰もいない







 昭和三十一年(一九五六)、田村隆一の処女詩集『四千の日と夜』は上梓された。本詩集のタイトル「四千の日と夜」とは、昭和二十年(一九四五)からの十年間を詩集という形に圧縮したものであることを意味する。
 後代、戦後詩の代表と目される同人誌「荒地」の象徴的詩人である田村が詩集を上梓したのが、敗戦から十年の歳月を経てというのはいささか遅い気もするが、「荒地」は昭和二十二年(一九四七)に創刊され、荒地同人による『荒地詩集』は昭和二十六年(一九五一)から昭和三十三年(一九五八)まで毎年刊行されている。したがって、個人詩集の上梓こそ遅いものの、田村は十五年戦争を経て、焼跡と化した自身の故郷を目の当たりにしたこと、戦後の混乱、虚脱的状態を詩としたといえる。


 昭和二十年九月、ぼくはレインコート一つ肩にかけたまま京都から復員すると、巣鴨駅でおりた。一面の焼跡。新宿の伊勢丹の焼けビルが、すぐ目のまえに見える。ぼくは大塚までゆっくり歩いていった。家の焼跡に立って、あたりをながめても、白昼だというのに人影一つない。『大塚』は地上から消えていた。この日は、台風の影響か、九月の強い陽ざしにかがやく焼跡を、南風が吹きまくっていた。
(田村隆一「10から数えて」)




「『大塚』」と二重鍵括弧で「大塚」を括るのは、出兵する前まで親しんでいた自身の故郷が完全に死んでしまったことを意味する。具体的な、自身の経験に即した「『大塚』」が地上から消えてしまったこと。個人的具体性・経験の剥奪は言葉をどのように繰らせたのか。
昭和三十一年(一九五六)、日ソ共同宣言が調印され、国際連合への加盟も果たし、日本の国際社会の復帰が謳われた。また、経済企画庁は『経済白書』に「もはや戦後ではない」と記して発表した。田村『四千の日と夜』が上梓されたのと同年のことである。





「幻を見る人」は『四千の日と夜』の巻頭詩であるが、本作は四篇からなり、それぞれ発表時期が異なっている。取り上げた「幻を見る人」は昭和二十七(一九五二)に『詩学』一月号に発表し同年『荒地詩集』の収録された作品である。四編のうち最も早く発表され、巻頭詩「幻を見る人」の中でも一番目に配置されている。


[…]「幻を見る人」にあっては、自由詩のスタイルをとりながら、あくまでも静的に収斂されていく。音響も色彩もない、黒と白の無声映画のような世界だ。形容詞も副詞もない。いわば、「小鳥」「空」「野」「窓」「叫び」「部屋」「屍骸」だけで成立している世界で、あらゆる修飾語から切り離されている単語、裸体のままの単語を有機的にむすびつける動詞も、「墜ちてくる」「聴えてくる」だけにすぎない。そして、「小鳥」と「叫び」に共通の運命を与えているものは、「射殺された」という、きわめてアクセントの強い形容句である。この詩に、もしひびきがあるとすれば、この箇所だけであって、小鳥のはばたきはおろか、人間の「叫び」そのものさえ、読むものの耳にはきこえない、まったく無声の世界である。
(田村「自作について」、傍点ママ)




 この少し前に「できるだけ形容詩(ママ)を排除するのがというのが、ぼくの詩作法の原則」とも田村は述べているが、「幻を見る人」でも対比的に配置された「小鳥/叫び」が、どのような「小鳥」なのか、どのような「叫び」なのかというのは記述の上では一切排されている。それは両者の配置された場所である「空/窓」、「誰もいない所/誰もいない部屋」、「野/世界」が、まったく言葉の表記の上だけで読み手の眼前に置かれた、具体的・事物的なイメージをまとわない、抽象的・観念的イメージで構築されていることとも通じている。これらから、書き手の徹底した修飾語を排する姿勢が読み取れる。それは、『大塚』が「地上から消えていた」ように、田村にとって言葉が具体的・事物的イメージを担えるものとして機能しなくなったと考えるより、身体的に「『大塚』」の消失を経験してしまった書き手にとって、修飾語や形容句によって担わされる具体的・事物的イメージには託せない何かがあったと考える。


詩は、特定の観念や漠然とした情緒によってつくられるものではない。「詩は言葉でつくられる」この自明の原理を銘記してほしい。そして、観念や感情がはっきりとした形になって生まれるのは、詩という構築物によってである。詩人自身にとって不分明の感情や観念が、詩を書くことによって、すなわち、形をあたえることによって、はじめて可視的(ヴイジブル)なものになるのだ。
(田村「ぼくの苦しみは単純なものだ」)




 ここに田村の詩作の意図が見える。自身の言葉に出来ない感情に詩という感情をあたえることで、自身がどんな感情を持っているのか逆説的に知ろうとするのだ。田村は戦後の虚脱感や不安、怒りや恐怖から具体的・事物的イメージを排したのではない。具体的・事物的イメージを排した詩を書いてしまったという事実から逆照射して、自身の感情に名前をつけていく。それは、西脇の「カンシヤク」が語と語の奇抜な連結を求めつまらない現実を飛び越えようとするものだったのに対して、抽象的・観念的イメージで語と語を連結してしまった事実から戦後という現実を書き手に突きつける作用を持っている。


 戦後詩と呼ぶものは、戦争をくぐりぬける方法を詩のうえで考えることを強いられた詩のことであるといえば、いくらか当っている。別の言葉でいえば戦乱によって日常の自然感性を根こそぎ疑うことを強いられた詩といってよかった。認識ないしは批評をたえず感性や感覚のなかに包括しながら詩が展開されるので、日常の自然感性に類するものは、すくなくとも表面からは影を払ってしまった。
(吉本隆明『戦後詩史論 新版』)




 吉本の言う「戦争をくぐりぬける方法」が、田村にとっては修飾語・形容句を排した詩作であったと言える。また「戦乱によって日常の自然感性を根こそぎ疑う」に至ったのは、田村の「『大塚』」が地上から消え去ってしまったからだ。
 では、本作「幻を見る人」で用いられている語法・記法ないし詩作法はどのようなものなのか。何積橋は「田村隆一「幻を見る人」論」で、本作を以下のように分析している。


 この詩の流れは「小鳥」(A)、「叫び」(B)を中心とする二つのイメージ群の交錯的連続によって分けられる。[…]Aの中に「小鳥」は中心的な存在で、「空」、「野」は背景となる。Bの中の中心的な存在は「叫び」であり、「窓」、「部屋」は一つの空間となっている。「小鳥」、「叫び」には「墜ちてくる」、「聴こ(ママ)えてくる」という視覚的、聴覚的動詞だけが用いられている。そして両者に共通する動詞は「射殺された」である。「射殺された」「小鳥」のように、「叫び」も「射殺された」のである。この強烈なことばをもって、作者は生々しい感覚で、それを時代の問題として暗示しているのではないか。
(何積橋「田村隆一「幻を見る人」論」)




 何がここで指摘しているのは「幻を見る人」に顕著な対比的な語の配置であり、対比の接点として「射殺された」という動詞が用いられていることである。「射殺された」とは田村自身によって「アクセントの強」さを意識して置いたことが仄めかされており、本作の中心的な語句とも考えられる。

 一聯では「小鳥」を中心としている。「空→野」と垂直方向に「墜ちてくる」「小鳥」は、「誰もいない所で射殺された」と説明される。吉本は「幻を見る人」の三篇目を解釈する上で、「空」を「もちろん戦後の空であり、戦争をへて来たのちも空は上を見ればみえる」と空の不変性を示した後で、「幻を見る人」を「つまり幻影を透視する目をもっている人」と規定し、その「空」に「時代の漂流物」が見えてしまうと言う。

 二聯では「叫び」を中心としている。全体の構造は一聯と同じであり、「窓→世界」へと水平方向に「叫び」は移動され「聴えてくる」。何者かに「射殺された」ことによって生じた「叫び」ではなく、「叫び」そのものが「誰もいない部屋」で「射殺された」ことが、本聯の抽象的・観念的イメージと言える。何は「叫び」を「死」のイメージと接続し、「人の自由、尊厳を求める声」として「叫び」を捉えている。すると、「自由、尊厳」が戦争によって奪われたとともに、それを「求める声」さえ奪われてしまった(=「射殺されて」しまった)と解釈できる。
 一聯も二聯も「射殺された」場所には「誰もいない」点に注目すると、果たして「小鳥」や「叫び」は何者によって「射殺された」のか。戦争という国家権力の暴力が個々の人格を無視して何もかも消尽=焼尽させたことは、「『大塚』」で確認できた。「誰もいない」とは、戦争という暴力的なシステムに強制的に組み込まれてしまったとする人々にとっての、「自由、尊厳」を有する人々の不在の強調と解釈できる。

 三聯は「小鳥」と「叫び」について一行ずつ書かれている。一、二聯で「野」と「世界」が、それぞれ「小鳥」と「叫び」のためにあるとあったが、ここでは「空」と「窓」が、それぞれ「小鳥」と「叫び」のためにあると述べている。
 「墜ちてくる」ためには高さがなければならず、「空→野」の垂直方向の移動の明示は、「誰もいない」場所において「小鳥」が、ただ「射殺され」るためだけのシンボルとして置かれていることがわかる。「小鳥」を〈強者〉に対しての〈弱者〉と見(吉本)ると、過酷な時代状況では、「空」「野」といった「小鳥」の生活環境が殺されるためだけに用意されているものとなってしまう。
 「窓→世界」の水平方向の移動で「聴えてくる」「叫び」は、広大な「空」に比して限られた内外の境界としての「窓」からしか「聴えてこない」。「誰もいない部屋」であっても「射殺され」てしまう「叫び」は、たとえ「世界」に届いたとしても、「窓」から「聴えてくる」範囲にしか届かない。ここにも〈弱者〉を見ることが出来るだろう。

 四聯では「小鳥」も「叫び」も出てこない。作者・田村隆一と重ねられそうな、語り手・「わたし」は、「どうしてそうなのか」が「分らない」と言いつつ、それを「感じる」と語る。指示語「そう」とは三聯、あるいは一、二、三聯すべて包括すると考える。「わたし」にとって「小鳥」が、「叫び」が、〈弱者〉が「どうして」「射殺され」てしまうのか「分らない」が「感じる」ことは出来るものである。戦中・戦後の大きな不条理に対する「不分明の感情や観念」とも考えられるだろう。

 五聯「小鳥が墜ちてくるからには高さがあるわけだ 閉されたものがあるわけだ/叫びが聴えてくるからには」と、再び「小鳥」と「叫び」が登場する。「閉されたものがあるわけだ」とは何のことだろうか。「墜ちてくる」のに「高さ」が必要であることはわかる。では、「閉されたもの」とはどういったものか考えるとき、その反対の「開かれたもの」を考えてみたい。開放=解放された自由に出入りの出来るものを「開かれたもの」と考えたとき、「閉されたもの」とは閉鎖=拘束された不自由で出入りが制限されているものと考えられる。「自由、尊厳」は否定され、逃走の選択肢も目の前にはない。
 「叫びが聴えてくるからには」の後半が省略されているのは、ここまでの対比的構造から読み手に推測することを書き手が要請していると考えられる。したがって、「墜ちてくる」のに「高さ」が必要であるのと同様に、「聴えてくる」のに何があることが望ましいかと考えたとき、「静けさ」を想像する。この「静けさ」は一、二聯の「誰もいない」と通ずる。それは、戦後の荒廃――荒地!――であり、田村の「『大塚』」である。ここで、田村の「詩は言葉でつくられる」という言葉を思い出すと、「叫びが聴えてくるからには」以降に「言葉」が書かれなかったのは、すでにこれ以上「詩」をつくりだすことが出来ない状況を記さねばならなかったのではないか。それは、書くべき「何か」を予め持った状態で詩作に望むのではなく、詩作し終わったうえで自分を逆照射してその「何か」を把握する田村にとって、この書かれなかった部分は、書かれなかったという事実をもって、それだけの重みがあったものと見られはしないか。

 最終聯「野のなかに小鳥の屍骸があるように わたしの頭のなかは死でいっぱいだ/わたしの頭のなかに死があるように 世界中の窓という窓には誰もいない」の二行であり、ここには「小鳥」は「屍骸」の形で登場しているが、「叫び」は書かれていない。空白を挟み、上から下へ直喩が働いている。
「野のなかに小鳥の屍骸があるように わたしの頭のなかは死でいっぱいだ」では、「屍骸」を「破壊的要素に満ちた近代文明、社会に強く抗議し、自己の実存を確かめようとしたのではないか」(何・同上)という解釈のもと、そのような「屍骸」のあり方で喩えられる「わたしの頭のなか」の「死」が逆説的に「生」を示すものとなる。「いっぱい」と示される「死」は、反対に今まで不明だった「小鳥」の数についても想像させる。「野のなか」「いっぱい」に「射殺された」「小鳥の屍骸」のイメージは、〈弱者〉の無力さを思わせる。このような〈弱者〉の無力さを直喩という接続から「死」という言葉で引き受けたように考える。
 すると、本作最終行「わたしの頭のなかに死があるように 世界中の窓という窓には誰もいない」は、「死」を「わたしの頭のなか」という個人的なものに引き受け、それを直喩で接続させ、「世界中の窓」という形で普遍化させている。最終聯に「叫び」が書かれていないことから、最後の「誰もいない」は「叫び」をあげる者も、「叫び」そのものもなくなってしまったことを意味する。「自由、尊厳」ないし「自由、尊厳を求める声」のなくなった「世界」では、「窓」という内外の境界を通過するものがなくなったともいえる。
粟津則雄の「田村隆一は、近付きえぬものとして外部を断ち切りながら、その外部へ向って不可能な接近を企てているのであり、そのことによって、内面を、内部と外部とのあいまいな野合から救うと同時に、それを、単なる孤立からも救おうとした。そのようにして、内面性と世界とのあいだに、新しい劇的関係を打ちたてようとしたのである。」(「内面性と世界――田村隆一再論」『続・田村隆一詩集』)という発言は、田村の内部と外部の関係を端的に表すものである。〈弱者〉の無力さを「死」として「わたしの頭のなか」という内部に入れることと、「世界中の窓という窓には誰もいない」という抽象的・観念的イメージを持たされた外部が、直喩という形で接続されることからもわかる。





 昭和二十一年(一九四六)から昭和二十二年(一九四七)にかけて日本文学の分野にあらわれた新人の括りを「第一次戦後派」というのであれば、昭和二十二年(一九七四)に同人誌「荒地」を創刊した田村隆一をはじめとする戦後詩と呼ばれる一群を「第一次戦後派」と同じ目線で見ることも出来る。つまり、戦争体験の与えた文学的意味という視点である。
 戦中兵役についた世代に続き、戦中に思春期を過ごした世代が現れる。





香瀬


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