[流体枷仔]

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Posted on 16:57:17 «Edit»
2009
01/07
Wed
Category:【漏洩】

[メモ]コンテクストの合図 

 コミュニケーションが成立する/しないということは、情報の送り手と受け手の間にある「慣習」が「共有」されているからだといえます。このことは、音声によるコミュニケーション、つまり発話による会話が送り手(話し手・発話者)と受け手(聞き手・受話者)の間で成立するということを例に取ると、その発話表現の慣習性・イディオム性、音声的な特徴、発話内容とお互いが共有する前提との照らし合わせ方、パラ言語(発話時のイントネーション・声の高さ・声の大きさ・韻律など)、表情や身振りといった非言語的要素、方言や隠語などの言語的特徴、慣用表現などを合図にして送り手と受け手の双方は双方が形成するコミュニケーションという場に「その場をどう理解するか?」という疑問に対応する為の「枠組み」を形成するということからわかります。
 ガンパーズは上記のような枠組みの設定を「コンテクスト化の合図」と呼びました。コンテクストとは、コミュニケーションという送り手/受け手間で行われている情報の交換=交歓の「場」を形作っている要素であるとともに、送り手/受け手の双方が「場」を解釈する為の枠組みとここでは理解していきます。したがって、コンテクストをコミュニケーションの単なる状況だという判断はできません。発話によるコミュニケーションのコンテクストの形成プロセスをガンパーズは観察しました。すると、彼はある重要なことに気がつきました。彼は「コンテクストとは会話を行っているものたちがつねにその場その場でお互いのやりとりの中で生み出していく側面がある」ということに気づきます。発話の言語上の前後関係(直前の発話内容など)、言語形式の特徴(方言やイディオムなど)、発話に伴うさまざまな音的要素(パラ言語)、非言語的情報(表情や手振りなど)、物理的情報(いつ・どこなど)、その他言語以外の情報(対人関係など)、暗黙の前提の共有などのコミュニケーションという「場」を解釈する際の枠組みとして有用な要素をガンパーズは観察しました。「場」は動的流動的に形成されており、静的定式的な枠組みでは解釈が間に合いません。「場」を形成する(情報交換=交歓)が常に既に「場」の解釈を手助けするものになっているということです。たとえるなら、不定形のアメーバが内外の物質を吸収/排泄していくプロセスがアメーバ(という「場」)自身を形成すると共に、アメーバと非アメーバの境界線・輪郭線を形作っているようなものです。
 では、「相手の言っていることがわからない」「相手にいっていることが伝わらない」というのはどういうことでしょうか。あるいは、勘違いや誤解が起きてしまうのはどうした理由からでしょうか。
 コミュニケーションを情報の送り手と受け手の双方が行う交換=交歓の「場」であると捉え、さらに「場」を形成することと「場」を解釈する手助け=枠組みを形成することが同時に行われているということをここまでで確認してきました。「理解できない/伝わらない」「誤解・勘違い」というのは、以上より「場」(の枠組み)の破綻より起ることだといえそうです。ガスパーズのコンテクストが動的であることを発見した際の会話の観察対象をもう一度見てみましょう。


1. 発話の言語上の前後関係(直前の発話内容など)
2. 言語形式の特徴(方言やイディオムなど)
3. 発話に伴うさまざまな音的要素(パラ言語)
4. 非言語的情報(表情や手振りなど)
5. 物理的情報(いつ・どこなど)
6. その他言語以外の情報(対人関係など)
7. 暗黙の前提の共有


少なくとも上記1〜7によって「場」と「場」の枠組みが形成されていることを確認します。このうちのどれか一つでも欠けると「場」の崩壊――コミュニケーションの不成立――がもたらされてしまうのかというと、それは一概には言えません。しかし、ここでは一つずつの欠如を考え、どのような「場」の崩壊があるか見ていきます。
 1.の欠如を理由にコミュニケーションが成立しないと考えたとき、まず発話内容の情報や知識が片方にしかない場合が想定できます。たとえば、年長者と年少者の会話ではその使用語彙に差があるため直前の発話内容が共有できません。また、直前の発話内容と意味が接続していない内容が応酬された場合も同様にコミュニケーションが成立しないと考えられます。さっきまで話していた話題とは異なる話題を前触れなく行えば「さっきまで」のコミュニケーションは不成立に至ったと見ていいでしょう。(反面、新たな「場」の形成が「さっきまでの「場」」の崩壊と共に生じたのも見逃せません)
 2.の欠如は、ことばが理解できない場合だといえます。先に述べた年齢による使用語彙の差は、ここでも理解することができます。また、性格や能力が同程度の人間同士でも共有できる言語がなければ「場」を形成するのは困難といえます。(「共有できる言語がない」ということが一つの共有された情報になり、そこから「場」の形成が生まれると考えられます)
 3.の欠如は、慣習性・イディオム性に反したパラ言語であるときと考えられます。発話内容にそぐわない音声、受け手に違和感を抱かせる声音などです。(これも、「違和感」がそのまま情報となると考えらます)
 4.の欠如は、3.のパラ言語を非言語的表現に置き換えたものです。その発話内容にそぐわない表情・手振り・髪型・服装などが受け手に違和感を抱かせるというものです。したがって、この「違和感」も一つの情報だと解釈できるでしょう。
 5.の欠如は、物理的な阻害、外的要因のノイズなどが考えられます。うるさい街中では相手の声がきこえないためコミュニケーションは成立しません。逆に大きな声がはばかられる場では相手にうまく伝えることができません。(これらは「相手にきこえない」「相手に伝えづらい」という事実がそのまま情報になります。相手がきこえづらそうであれば声量を大きくすることが出来ます。相手が伝えづらそうであれば耳を済ませることが出来ます。)
 6.の欠如は送り手の受け手の親密具合を逸脱した場合が考えられます。相手がどういった立場の人物なのか、自分とはどういうかかわりのある人物なのか、といったことを考慮せず行われるコミュニケーションは破綻します。(見ず知らずの人にプライベートなことをきくのはおかしい、と私たちが判断できるのは、私たちが「相手のことを知らない」ということを情報として知っているからにほかならないのです)
 7.の欠如は文化や習慣という名で呼ばれる「当たり前であるが故に普段意識しないこと」が共有されていない状況です。異文化間コミュニケーションはこの手の「場」の破綻が多くなるでしょう。そして7.は、「当たり前であるが故に普段意識しない」ということから意識的に意識せねば意識できない欠如だといえます。
 以上、1〜7までの「場」の形成要素のそれぞれの欠如を確認してみました。これらが単発的にあるいは複合的に欠如したときに「場」は崩壊します。つまり、コミュニケーションという情報交換=交歓がシームレスに行えなくなり、送り手/受け手は枠組みを維持できなくなるのです。そのような破綻した情報を送受信できなくなることが「伝わらない/わからない」という事態であり、破綻した枠組みを用いた解釈が「誤解・勘違い」だといえます。

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